愛知県豊橋市出身。私立桜ヶ丘高校卒業。
1955年7月キングレコードから「千鳥のブルース」でデビュー
戦争で疎開した愛知県新城市のお寺で歌を習い始め、
終戦後、赤十字のボランティアに参加。
孤児院や病院、老人ホームで歌を披露する傍ら、
多くの「のど自慢大会」で優勝し「東海の のど自慢荒らし」として有名に。
15歳の頃、当時売れっ子の作曲家だった渡久地政信氏に弟子入りを申し込むが、まだ学生であることを理由に何度も門前払いを受ける。大津の「私の歌声も聞かずに断られるのは納得ができない」という言葉に根負けし家に招き入れ、その歌声を聞いた渡久地氏は弟子入りを許可する。
毎週愛知県豊橋市から学校が終わった後の土曜日に夜行電車に乗り上京し、翌日の昼のレッスンを受け帰郷するという生活を続ける。
17歳でキングレコードから「千鳥のブルース」にてデビュー。
その2ヵ月後に発売した「東京アンナ」が大ヒット。
その後恩師渡久地氏がビクターに移籍したため、キングレコードより同社作曲家だった飯田三郎氏を紹介され、以後、大津は飯田氏に指導される。
1956年、飯田氏が作曲し高橋掬太郎氏が作詞した同名映画の主題歌「ここに幸あり」が空前の大ヒット。大津の人気を不動のものとする。以後結婚式の定番ソングとなり、日本のみならずハワイ、ブラジルなどの多くの日系人の間で愛唱され、同時に世界中であらゆる歌手にカヴァーされる。特にハワイ、ブラジル、中国、フィリピン、シンガポールでは今でも世代を問わず歌い継がれている。
42歳の時、くも膜下出血(脳動脈瘤破裂)により倒れ生死をさまようが、
2度の手術後無事退院。リハビリを経て奇跡のカムバックを遂げる。
NHK紅白歌合戦7回出場。
1983年「ここに幸あり」で「ロングセラー賞」を受賞。
1985年 北海道 根室市役所前庭に「ここに幸あり」の音楽碑建立。
1988年 「ここに幸あり~わが歌に山河あり」(リヨン社)出版。
1995年 社団法人日本歌手協会副会長に選出。
1997年 文化庁長官賞を受賞。
1998年 第40回日本レコード大賞にて「功労賞」を受賞
1999年 愛知県豊橋市「ふるさと大使」に任命。
2009年 古賀政男音楽博物館に顕彰者として「大津美子レリーフ」を展示。
2015年 歌手生活60周年を記念し新曲「夜空に光るあの星よ」をリリースする。
2018年 ホテルニューオータニ 芙蓉の間にて「傘寿を祝う会」を開催。
2018年 キングレコードより「特別功績賞」を授与。
2018年 作曲 弦哲也、作詞 冬木夏樹 「北斗星(ほし)に祈りを」リリース。
2019年 「決定版 大津美子2020」アルバムリリース。
2020年 「甦る昭和歌謡 大津美子 ベスト10」アルバムリリース。
現在でも、ダイナミックなアルトの歌声でディナーショー、企業創立イベント、結婚式など日本全国にて公演をおこない精力的に活動を続けている。